日本人に息づく 美意識と文化
建築を見に行く時
1番 大切にしているのは 感じることだ
日本人建築家の系譜と
日本人に息づく美意識と文化
つくづく自分は日本人なんだな。と思う
六華苑
- 六華苑|揖斐・長良川を望む約18,000 ㎡の広大な敷地に
洋館 和館や茶室 蔵などの 邸宅群と 池泉回遊式庭園などで構成される - 「日本建築界の母」と称される
イギリス人建築家 ジョサイア・コンドル 設計の洋館(諸戸 -二代目- 清六 邸)がある - 和館棟梁|伊藤末次郎
- 諸戸家|日本一の大地主 二代目 清六が 現在の邸宅群をつくる
お目当て
六華苑で建築ツアーやるから 「おいでよ!」と 声が掛かった
六華苑……洋館か。。。と当初は 全然乗り気ではなかった
調べると……ジョサイア・コンドルという イギリス人建築家
思い起こせば……学校の教科書でも テストでも 必ず出てきた建築家だった
(これさえ覚えておけば、とりあえず1問は稼げるという鉄板問題である)
一級建築士の試験勉強でも これまた出てくる
(この時点では、行く行かないのあいだで まだ揺れてる)
日本に初めて 本格的な西洋の 建築学をもたらし
多くの日本人建築家を 育てたコンドル
(東京駅の設計で知られる辰野金吾など)
更に調べると
和館 茶室 蔵 池泉回遊式庭園……1万8000㎡の敷地に邸宅群
和館の夕景写真を見て……(佇まい プロポーション きれいやん!)
更に更に調べると
桑名は ハマグリが名産……(これは 美味いに決まっている)
寝る頃には「参加」と返事の準備をしていた
(頭の中は まだ味わった事のない ハマグリの美味しさを想像することに占領されてる)
110年前の 文化のぶつかり合い
夜な夜なベッドで 想いを寄せながら……
見学に行って 思うことは……
日本に 近代文化が持ち込まれた明治大正期
110年前の 洋館と和館 茶室(離れ) 池泉回遊式庭園の邸宅群を一度に見ると
西洋の 石 レンガの組積構造 土足の文化 家具の生活様式からくる……
日本の 木の軸組構造 高温多湿の気候 畳の間の生活様式 作法からくる……
……空間構成 寸法 室礼 の違い
隣り合った建築 文化が ぶつかり合う
和館の 内外のプロポーション 柱間の広さ 縁側 畳 縁側 という抜けのある空間 畳の続き間……
障子や はきだし建具から望める 外部空間の情景 繊細なディテール 室礼の数々……
洋館のそれよりも 綺麗だなとも 心地よいとも 感じるのだ
建築ツアー 参戦
7月下旬
桑名市 六華苑での建築ツアーに参加した
35℃の炎天下
うだる暑さは 気温もそうだけど 直射光が熱い……いや 太陽光が 痛い
そんな中 集合時間よりも早く着いたので 近くの 七里の渡し でも行くかとなり
揖斐川沿いを テクテクと歩くと 船着き場 水門があり 磯の香りがする
海から5-6kmの位置にあたるらしい
(この時点までは、目当てのハマグリが頭の中の大部分を占める)
桑名は 古くは伊勢神宮領 明治期に 華族の荘園となり
木曽川上流から 木材や美濃米が川船で運ばる交通の要衝として
尾張 美濃 伊勢といった 穀倉地帯の米の集散地として栄えた輸送拠点である
七里の渡しに 着くと
蟠龍櫓(ばんりゅうやぐら)という 水門の管理棟
外壁をよく見ると 白の漆喰塗りで クラックなし
軒天 軒先ともに同材……ええやん! これ!
途中にある 伊勢国一の鳥居は 伊勢神宮の式年遷宮と同時期に建て替えるらしいよ…… (写真忘れた)
とか いろいろ話題に尽きない陣営
暑いアツいなか 歩いてきた堤防沿いを テクテクと戻る
当日は 桑名市の花火大会で堤防に観覧席が並べられ 露店が準備を始めていた
(大津のような柵はない 古き良き昭和の良心的な花火大会)
六華苑の出入り口の とこで ガイドさんが待っていた
揚々とした春に来れば 長屋門前にある 桜が出迎えてくれるが
真夏の午前中は 木陰も できず ただただ 砂利の反射が眩しいだけである
(打ち水しても たぶん焼石に水である)
長い屋根のある門扉……長屋門 (覚えておこう そして 写真忘れた)
洋館までのアプローチは 奥があるRを描き
庭園の木陰から 洋館と和館を眺めながら ガイドさんがいろいろ説明してくれた
洋館の塔は 建築中に3層から4層へ 変更
外壁の色は当時の色を復元して
柔らかい塗料を使うということで
あれこれそれ……
明治 大正期の日本は 服装や生活様式の西洋化が一般にも 急連に浸透していった時代
成功を収めた実業家たちにとって 洋館は新時代のステイタスシンボルとなった
洋館には 和館を併設する例が多い
そりゃ 鎖国 開国 文明開化 明治維新 断髪令 廃刀令……
着物から洋服 刀から鉄砲 髷から散髪
江戸から明治 大正へと 移り変わる変革期 イケイケの時代じゃ
(建設費 上限なし設定とのこと)
空襲の激しかった戦時中 1発 敷地内に落ちて 車止めが破壊されたそうな
防空壕が敷地内に残っているらしい
バタヤン並みに 幸運の持ち主じゃ
洋館|日本建築界の母|ジョサイア・コンドル
暑いアツい 汗が止まらない どころではない
木陰がない 揖斐川の堤防を歩いたせいか
身体の熱が抜けない
庭園めぐりは 夏季以外にしましょう と ガイドさん
足早に洋館 内部へ
1階のホールを中心に (写真忘れた)
客間 食堂……階段
赤絨毯 開きドア……
街なかで 着物 スーツを着た ごちゃごちゃの時代が思い浮かぶぞ
(ポートレート写真をみると 初代清六は着物 二代目清六はスーツ)
あぁ これが昭和の邸宅づくり 家具生活ベースになったのね
家具はアンティークショップで 当時に近い年代のものを改めて購入し 再現しているとのこと
洋館というのは 和洋折衷とよく言われるが
洋館に和室があったり 一部 引き戸が使われていたり 収納は襖式だったり
日本と西洋の文化の まじわりが 垣間見れる
日本に 西洋の文化を持ち込んだ近代化途中の 住まい ゆえ
ソファーやチェア テーブルの生活様式は 日本人には 馴染みにくかったようだ
建設予算 上限なしの洋館での生活は 2-3年しか続かず とのことで
次第に和館へ生活が移っていったそうな (そんなこと さらっとできるの……)
天井と壁は 漆喰塗りで レリーフ模様のアーツクラフト運動が なんとかかんとか……
うぅ〜ん 手間暇は分かるが……(漆喰塗はやってみたいが 装飾は うるさい……)
家具まわりの 豊かな余白である 寸法感覚を掴むのは大事
それにしても 暑い
2階ホールに 工業用扇風機が置かれていたから 目の前を陣取って 体の熱を逃す
洋館に和室があり 個室にある収納は 襖式で 和洋折衷が取り入れられている
サンルームは 本来の用途というより 今で言う 中間領域のバッファーゾーン
椅子 テーブル 暖炉 化粧台 開き扉 照明 腰壁上下開口
建築ボキャブラリー いろいろ……ふむふむ
和館|諸戸家 おかかえの棟梁|伊藤末次郎
和館へ ゾロゾロと向かう
縁側 廊下 畳の続間を歩くと 水平方向へ広がる 南北の庭園が展開されていく
あぁ〜微風だけど気持ちいいわ (暑いけど……)
そら 引き戸の建具を 全開で空気も流れる
(それにしても 柱間 ひれぇな)
ふと 見ると 来る人 来る人 畳の上で 座りだし
かつて揖斐川の水位と連動していた 汐入庭園を眺めながら 一息
で 思い思いに 庭を眺め 天井を仰ぎ
あれこれと 部材を触りだす
洋館では チェーンで囲われていない椅子でも 誰も座らなかったのに……
なんやこれ (たぶん文化の馴染み具合)
空間を うつろう先にある 外の庭
繊細 過ぎず
おおらかで たおやかな
懐 深めな 華奢な 室礼
華美ではなく 儚さ と 慎ましさ
日本人の美意識 侘び寂び
思わず 正座をして ながめてしまう 畳の間
内 外 に伸び縮みする 濃淡
水平方向へ 展開される連続性
おおらかさ と 繊細
のびやかさ と 華奢
豊かさ と 儚さ
相反する逆位相 侘び寂び 日本の文化
襖は畳に合わせず 4.5尺の大きめの4枚引き
天井高も 和の建築にしては 高め
平面的な広さ からすれば大黒柱があって良さそうだけど
その割に 柱は細目
ガラス 2mm 薄(め)
窓の桟もだいぶ 細目
桐の一枚板 竿渡天井
桐の一枚板 欄間細工
漆の欄間細工
釘隠し
洋小屋トラス構造
庭 軒下 縁側 畳の間 畳廊下 板廊下 軒下 庭
接地性の高い平屋の中を歩くと 自ずと畳に座って 庭を眺めてしまう
地組した洋小屋は 柱間を広く 奥が深い平面を展開し
平屋 庭 の関係が 身近にある建築文化は
—— 日本人の根源的な 生活文化である
空間相互が流動する 自由な空間構成
柱間の はき出し開口は
—— 日本の 建築文化である
茶室
茶炉は 庭よりの 二の間
一の間の際には もうひとつ 茶炉
上段 格天井
一の間 吹寄格天井
二の間 竿渡天井
縁側 垂木現し天井
長押は 半割磨丸太
戸袋は格子
旧高須御殿も併設
二方 開口の濡れ縁
海津町の高須藩の御殿を移築
好き が転じて数寄屋の 数寄
茶人の嗜好
自由で独創的な 茶の世界の建築
—— 茶道の空間を 建築 露地庭 まで展開
茶空間茶道具室礼粋所作振舞包括した
—— 生活総合芸術空間まで 昇華させた形式
大人数の 茶会が開かれ
茶道師の背景に 3方 縁側と庭
弟子が せっせっと 多くの客人に
お茶を振る舞う 風景が見えてくる
松尾流
千利休に台子相伝した 辻玄哉 を始祖とする表千家流派
武野紹鴎 辻玄哉 千利休 豊臣秀吉.織田有楽斎
この地は
織田家 家臣の矢部氏の舘 庭園「江の奥殿」となり
桑名藩 御用商人 山田彦左衛門が隠居所「山田長者屋敷」となり
諸戸 二代目 清六邸となり
戦後は 役所機能 事務所(税務署) にもなり
現在 六華苑として 一般公開
六華苑とは
揖斐・長良川を望む約18,000 ㎡の広大な敷地に
木造2階建ての洋館、和館や茶室、蔵の邸宅群と池泉回遊式庭園などで構成される六華苑
年間約5万人が訪れている
洋館および和館は平成9年に 国の重要文化財に指定
他6棟が三重県有形文化財 離れ屋は桑名市の有形文化財に指定
庭関は一部を除き 平成13年に 国の名勝に指定
ジョサイア・コンドルとは
日本建築界の母」「日本近代建築の父」と称される イギリス人建築家
明治政府が西洋から様々な分野の専門家を招き、近代化を図っていたいた時代の建築家で
日本に初めての本格的な建築学をもたらし、辰野金吾(日本銀行や東京駅)などの日本人建築家を育てた建築家である
諸戸家とは
二代目 清六が、現在の六華苑をつくる
洋館をコンドルに依頼 (諸戸 清六(二代目)邸)
(政財界の幅広く交流があり、大隈重信や三菱の創業者 岩崎家と親交の関係で紹介された)
一代目 清六 は、日本一の大地主
200両の負債を抱えた父(清九郎)の死後、18 歳から米穀業を営み、わずか3 年で負債を完済するほどの成功を収め 明治維新の後も新政府高官や三菱財閥の知遇を得て事業を拡大
次々と田畑を開墾し、山林を植林し、日本一の大地主になり
当時飲料水事情が悪かった桑名に私財を投じて上水道を引き、一般市民にも開放した
一代目 清六 の屋敷につくられた庭は 「諸戸氏庭園」として春と秋に一般公開
(六華苑の隣に位置する 屋敷)
六華苑(洋館)
地方に唯一現存するジョサイア・コンドルの住宅作品
戦災を受けたが 建築時の姿をほぼそのまま残す文化遺構
塔屋とサンルーム ベランダは コンドルの作品ではどの建物にもある
塔屋は、住居部分の屋根より高い4層だが、実は設計段階は3層
揖斐川と長良川の眺め 初代が植えた桜並木を見渡すことができず 二代清六の要望で変えられた
窓ガラスは2ミリほどの厚さしかなく、温度差などで割れてしまい、数枚だけ当時のままのものが残る
天井のシャンデリアの付け根部分はコンドルが好んだバラのレリーフであったり、アールヌーボー様式を取り入れた暖炉だったりと、装飾が施されている
階段もコンドルの建築の特徴が現れており、下に柱を作らない、螺旋階段のようなスタイ
手すりの透かし彫りなど、当時流行していたアーツアンドクラフツの影響
トイレは当初から水洗
初代清六が完成させった上水道を、周辺地区に無償で供給しており、その水道を使っていた
家具はアンティークを購入して再現したものが多い
床板やタイル、ドアノブ、鍵隠しなど当時のままの素材も多い
洋館の居室である2階では数年暮らしただけで、和館が主な生活の場に移
その後、別荘や別邸で住まわれるようになっ
西洋の生活スタイルにはなじみにくかったようだ
客間と隣接する食堂の間はドアではなく、引き戸になっており、和洋折衷の建物であることが分かる
純粋な洋式を受け入れるにはまだ抵抗があり、2階に座敷が加えられたと考えられ
改修で、外壁には当時を復元した色に近いペンキを使う
塗膜が柔らかい塗装を用いている
屋根は、天然スレート葺き
六華苑(和館)
棟梁は、諸戸家おかかえの 伊藤末次郎
屋根が洋組みのトラス構造になっている
畳廊下、和館の周囲をぐるりと巡る板張りの廊下
お目当ての 桑名 名産 ハマグリ
お土産コーナーに ハマグリのパックが売られていたけど
暑さのあまり 手に取りながらも買いそびれ
真空パックになってたけど あれを加熱すると
貝殻がパカッと開く らしい
見学後は 六華苑内にある レストランで お手軽フレンチ ランチ
六華苑 洋館などの 眺めながら ワインと共に お愉しみ
肉 or 魚が選べて 3種類のパスタから選べます
暑さの中 酸味の効いた
ジェノベーゼの サラダドレッシング
タコのマリネが 美味く
ほどよく 脂の落ちた 魚は ポモドーロソースで
美味しく頂けました
モンブランも 4種類あり 人気とのことで
追加しようと 思いましたが すでに お腹いっぱい
またの 機会に 食してみたいものです
六華苑
〒511-0009
三重県桑名市大字桑名663-5
WEB | https://rokkaen.com/
美しさ は
時 時代と共に変わり
奥ゆかしさが もの足りなければ
いつか 飽きの時がくる
普遍性とは その先にある……
100年も前に建てられた建築を見に行くということは
時代 文化が違う故 材料 寸法 納まりなども あまり参考にならない
参考にならないというのは 写しや模写……真似るという事が難しいのである
それでも 込められた意図は読み取れる訳で
コンセプト 空間構成 周辺環境……
洋館は 西洋建築(近代建築) 大正期の生活様式 構法 室礼 納まり……
和館は 日本伝統の木造構法 畳 板の間の生活様式 納まり……
建築 空間を歩き回ると
いいな〜 とか
キレイだな とか
気持ちいいな と感じるのである
—— そういった事を 感じとって 読みとって
—— 自分の中に取り込んで ドライブさせる習慣は大事