Journal|Gaudi

ガウディとサグラダ・ファミリア展|名古屋市美術館

名古屋市美術館で ガウディーの展示会が催されていたので 行ってきました

世界遺産に登録されている サグラダ・ファミリアの着工は 1882年
19世紀後半の産業革命によって都市の近代化が進み 万国博覧会が盛んだった バルセロナに建つ
ガウディーは カタルーニャ・モダニズムの先駆者
20世紀初頭に起きた 歴史的な建築様式を否定し
コンクリート 鉄 ガラスの 工業製品を用いて 合理的なモダニズムの少し前の時代

ガウディとサグラダ・ファミリア展  名古屋|名古屋市美術館|ar'teryx ZIN'|田畑雅行|ar'teryx|建築設計室 アーキテリクス

ガウディの自筆ノート スケッチ 図面
逆さ吊り実験の再現模型など 会場は 長蛇の列
図録を購入する前提で
長身を活かして 列の後ろから あれこれそれと 見ていく

ガウディとサグラダ・ファミリア展  名古屋|名古屋市美術館|ar'teryx ZIN'|田畑雅行|ar'teryx|建築設計室 アーキテリクス
ガウディとサグラダ・ファミリア展  名古屋|名古屋市美術館|ar'teryx ZIN'|田畑雅行|ar'teryx|建築設計室 アーキテリクス
聖堂 身廊部模型
ガウディとサグラダ・ファミリア展  名古屋|名古屋市美術館|ar'teryx ZIN'|田畑雅行|ar'teryx|建築設計室 アーキテリクス
聖堂全体模型
ガウディとサグラダ・ファミリア展  名古屋|名古屋市美術館|ar'teryx ZIN'|田畑雅行|ar'teryx|建築設計室 アーキテリクス
聖堂 全体模型
ガウディとサグラダ・ファミリア展  名古屋|名古屋市美術館|ar'teryx ZIN'|田畑雅行|ar'teryx|建築設計室 アーキテリクス
ガウディとサグラダ・ファミリア展  名古屋|名古屋市美術館|ar'teryx ZIN'|田畑雅行|ar'teryx|建築設計室 アーキテリクス
正門 降誕の正面のために制作された オリジナルの石膏像 浮彫 キリストのトルソの塑像断片
ガウディとサグラダ・ファミリア展  名古屋|名古屋市美術館|ar'teryx ZIN'|田畑雅行|ar'teryx|建築設計室 アーキテリクス

建築を考えることは 空間の未来を 想像することである

荒廃した地で 土を掘り起こし 汗水垂らしながら つくる 未来
そこでの 喜怒哀楽 一栄一落 営みの 未来
役目を終え 荒れ果て 廃墟になる 未来
それでも また役を与えられる 未来

サグラダファミリアは1882年 着工 完成まで300年と言われ
資金難などによって 工事が中断した

寄付 パトロンによって 活気に満ちた時もあれば
小鳥が飛び回り 池の周りを歩く 日常
人が寄り付かず ひどく恐ろしい時もあった
それでも 建設が 百数年続けられたのは なぜだろうか

西洋において
石は 永年性
光は 神の象徴

窓は 壁の一部であり
彫刻は 歴史や文化の伝承

ケルン大聖堂に至っては 13世紀から600年掛けて完成

作者の死後も
石を 切り出し 彫り 積み上げ
長きに渡り 意図 意思を周到に読み解きながら つくられる

建設中であっても 礼拝堂が使えれば 礼拝は行われる
西洋において 礼拝は 生活のはじまり 中心であり土台

日本建築は 木を用いて
朽ちて 土に帰る 儚さ
それを乗り越えて なお 存在する 尊さ
式年遷宮のような 伝承

軸組による 軽やかな空間
屋根 小屋組による 影

石の建築は つくられる期間が長い故 暗中の洞窟や廃墟の中で 生まれる建築とも言えないか

人の営みが消え 暗中に残る空間が 建築のもつ強さではないか

人々の営みが 建築に生命を吹き込むことを もう少し考えてみたいと思う

ガウディとサグラダ・ファミリア展  名古屋|名古屋市美術館|ar'teryx ZIN'|田畑雅行|ar'teryx|建築設計室 アーキテリクス
ガウディとサグラダ・ファミリア展  名古屋|名古屋市美術館|ar'teryx ZIN'|田畑雅行|ar'teryx|建築設計室 アーキテリクス
ガウディとサグラダ・ファミリア展  名古屋|名古屋市美術館|ar'teryx ZIN'|田畑雅行|ar'teryx|建築設計室 アーキテリクス
ガウディとサグラダ・ファミリア展
スペインのバルセロナで活躍した建築家アントニ・ガウディ(1852-1926)は、一度見たら忘れることのできないそのユニークな建築で、今なお世界中の人々を魅了し続けるとともに、様々な芸術分野に影響を与えてきました。
長らく「未完の聖堂」と言われながら、いよいよ完成の時期が視野に収まってきたサグラダ・ファミリアに焦点を絞り、ガウディの建築思想と創造の源泉、さらにはこの壮大な聖堂のプロジェクトが持っていた社会的意義を解き明かします。図面のみならず膨大な数の模型を作ることで構想を展開していったガウディ独自の制作過程や、多彩色のタイル被覆、家具、鉄細工装飾、そして彫刻を含めたガウディの総合芸術志向にも光を当て、100 点を超える図面、模型、写真、資料に加え、最新の技術で撮影された建築映像も随所にまじえながら、時代を超えて生き続けるガウディ建築の魅力に迫ります。

アントニ・ガウディ
スペイン カタルーニャ州タラゴナ県レウス出身
1852年6月25日 生まれ

父は 銅板を加工する 銅細工師
父母ともに 銅細工職人の家系であったことが 空間把握能力に長けて 建築家としての素地と考えていた

リウマチで 病弱だったため 自らの周囲にある物の造形をよく観察していた
自然を 常に開かれて 努めて読むのに適切な偉大な書物である

建築家 ビリャール
技術者 サレマレシャ
建設工匠 フンサレー
建築家 ジュアン マルトレイ イ モンテイス
賢者にして聖人


ガウディはゼロから独創的な建築を創造したわけではない
人間は創造しない 人間は発見し その発見から出発する
西欧建築の歴史 異文化の造形 自然が生み出す有機的なフォルムや幾何学的な法則の神秘
歴史 自然 幾何学
自然を直接石膏でかたどることで装飾を造形

父の目に止まり 学業のために バルセロナに一家で引っ越し
シウタデラ公園の装飾やモンセラートの修道院の装飾に関わる
アリアス・ルジェンは ガウディについて「彼が狂人なのか天才なのかはわからない 時が明らかにするだろう」と言ったと伝えられる

建築家たちによる考古学的な伝統主義や 他の人々による過去の諸様式を即興的に自由に取り扱う態度とは違って 確かな合理性に基づく 生き生きとした伝統主義を追求した

近代の建築家たちが ルネサンスの建築家に倣うかのように 自ら建築について言語によってプロパガンダしたのとは違い ガウディは生涯を通じて 建築に関する思想を建築論のような整理された形で表明することはなかった

パリ万国博覧会に出展するクメーリャ手袋店のためにショーケースをデザイン
才能を見初めたのが 繊維会社を経営する富豪エウセビオ・グエル侯爵
その後40年あまりの間パトロンとしてガウディを支援し グエル邸 コロニア・グエル教会地下聖堂 グエル公園などの設計を依頼した

レイアル広場の街灯
エステヴァ・クメーリャ手袋店のショーケース
コミーリャス侯爵家墓廟礼拝堂の家具のデザイン
ジベルト薬局
エル・カプリッチョ
アストルガ司教館
バル・トリノの装飾
コロニア・グエル教会地下聖堂
ボデーガ・デ・ガラーフ
コロニア・グエル教会
グエル公園
ボデガス・グエル
グエル・パビリオンズ
グエル別邸
グエル邸
トラスアトランティカ船会社パビリオン
テレジア学院
ベリェスグアルの塔
レウスの慈悲の聖母礼拝堂
ニューヨークのホテルプロジェクト
カサ・ビセンス
カサ・ボティネス
カサ・カルベット
カサ・バトリョ
カサ・ミラ
ベリェスグアルド


サグラダファミリア

タルーニャ・モダニズム建築の代表作

サグラダ・ファミリア 未完の聖堂
聖書の内容を表現する彫刻
諸芸術を総合する聖堂を構想

ガウディは 2番目の設計者で 今では 10代目の設計者まで 受け継がれている

聖堂建設発起 ジュゼップ・マリア・ブカベーリャ
初代建築家 フランシスコ・デ・パウラ・ビリャール

当初は ロレートのバシリカ様式の正確な写しとなる予定であったが
ビリャールによる ネオゴシック様式の設計案 地下礼拝堂 丸屋根 ラテン十字平面 三神廊 85m鐘塔

石の聖書
聖書の物語を表す 浮彫と彫像で 全面装飾
当時最新の技術であった写真を利用
石膏の型取りを活用

内戦勅発 聖堂の一部は破壊 図面類は焼失 模型も粉砕

受難のファサードのスケッチ 胸ポケット

生誕のファサード ガウディ作 望徳の門 愛徳の門 信仰の門
受難のファサード
栄光のファサード

18本の塔
マリアの塔
福音史家の塔
イエスの塔

スペインの内戦で ほとんど消失
弟子が壊れた模型 図面 スケッチ

産業革命
貧富の差
テロ
教会 礼拝堂の建設

礼拝堂の上に イエスの塔

逆さ吊り実験

双曲放物線面
平曲面
単双曲線面
双曲線面
双曲面ヴォールト
二重ラセン柱
樹状柱
コノイド曲線
パラボラアーチ

聖堂の断面図
見つかった


バルセロナ

サグラダファミリアがある スペイン バルセロナは
スペインでいち早く産業革命を達成した 19世紀の後半 荒廃した地から 復活した
人口が爆発的に増え ローマ時代につくられた 城壁を壊し 133.4mの碁盤目の都市がつくられた
中世の佇まいを残すゴシック地区を中心とした旧バルセロナと新バルセロナの都市のビジョン
最新の科学技術や世界各地の文化 風俗 建築が一堂に会する 万国博覧会が競うように開催された 万博の時代
ピカソ ダリ ミロなど バルセロナで独自の芸術表現で活躍した

1888年 バルセロナの万国博覧会で 一地方都市から世界的なコスモポリタンへと変容する


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ジェセル王のピラミッド
bc27世紀半ば

トルコの巨石建造物
ギョベクリ・テペ遺跡
1万2000年前

エリコの塔
bc9000

ギザの大ピラミッド
bc2560

テペ・シアルクのジッグラト
bc3000~2500

蜂窩状墳墓
bc1500

パルテノン神殿
bc432

ローマのパンテオン
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奈良 法隆寺 五重塔
現存する世界最古の木造建築
ad607年

サグラダファミリアの着工は 1882年
リートフェルトのシュレーダー邸 1924年
バルセロナパビリオン 1929年
サヴォア邸 1931年
バウハウス 1919-1933

伝統的な西洋の 三大美術 建築 彫刻 絵画
建築は 彫刻 絵画を 兼ね備えた 総合芸術

19世紀 建築史上 歴史主義 折衷主義の時代であり 創造の観点から言えば 消極的な時代でもあった
新古典主義
公共建築 古典 ルネサンス
宗教建築 中世ロマネスク ゴシック

1888年のバルセロナ万国博覧会以後 新しい建築様式が希求される
スペイン固有のゴシックとムデハル様式の折衷を土台に アールヌーボーとムダルニズム
その様な歴史的 文化的背景の中で 建築の創出 過去の歴史様式の探求は必須であった

産業革命以降の近代化 モダニズムでは
ガラス 鉄 コンクリートの工業製品を用い
それまでの 空間を分節した 暗く 装飾が多い建築から
空間を分節せずに 装飾を排除し 明るい建築へと移行した

バウハウスは あらゆる芸術的創造活動を集めて統一すること そして諸々の創作芸術的部門 彫刻 絵画 美術工芸と手工作を不可分の構成要素として新たな建築芸術へ向けて再統合することに努める

名古屋市美術館
〒460-0008
名古屋市中区栄2-17-25
WEB | https://art-museum.city.nagoya.jp/