禊の雨 清めの雨
伊勢國 一の宮へ
建築の神様 参拝 ご祈祷
境内は 雨で霧がかり
キリッとした空気の境内
参道の御神木に触れ
邪離の参道を歩き
雨で洗い流し
和太鼓で突き飛ばす
境内を流れる滝の音
鳥のさえずり
雨で 更に澄んだ空気を纏った 本殿の空間で
事務所 開設について ご祈祷
伊勢と鈴鹿
あれこれそれ と 事務所登録とかの手続きをしながら
あれこれそれ と 独立します と 逢う人 話す人に伝えると
「椿大神社に お参りしてきなよ」と
何人かに言われ なんの御利益があるん?と返すと
「建築の神様や!」とな
建築の神様……
「それって 伊勢の猿田彦神社の事じゃないの?」
「……鈴鹿 だよ 椿大神社は……」
あれこれそれ と 情報が混乱しつつ
あれこれそれ と 整理すると
どうも 伊勢の猿田彦神社は 猿田彦大神の直結の御子息が 神主を代々務める そうな
じゃ 鈴鹿の椿大神社は というと 猿田彦大神社 2000社の総本社 とのこと
(お国の機関が 調査したそうな)
椿大神社
平日の明朝 小雨が降っていた
神社の参拝は 雨が降る時に参拝すると
清められる とか 厄を流せる とか縁起が良いと聞くので
参拝者も 雨だから きっと少なめだし 鈴鹿まで 行くか 思い立ち
始発の電車に乗り
登り下りの多い 細い 山道を進み
(バスがすれ違うのも大変)
椿大神社へ到着
小雨が降る 山々に囲まれた 神社は 空気は
雨で なにもかも 潤い
空気 御神木 葉々 砂利 石組み 石畳 鳥のさえずり 雨が落ちる音さえ聞こえてくる
—— 自分の感覚の 解像度がみるみる あがっていく この感じ
閉じられた世界とは また違う 解像度のあがり方だ
建築の神様 猿田彦大神宮
参道の途中に 猿田彦大神が祀られる 社があるのを
すっと見逃し 通り過ぎそうになるが 無事に参拝完了
高山土公神陵 背後 小山 が墳墓とされている前方後円墳
芽の輪くぐり も設けたばかりらしく
案内に沿って 八の字にくぐる (これで えぇんか?)
受付で まだ 慣れない 自分の事務所名も書き
椿大神社の主祭神は 猿田彦大神とのこと
ご祈祷してもらうために
本殿にあがると 解像度があがった せいなのか
お祓いの際の 和太鼓の音が ズンズンと 身体に響く
あれこれそれ と想いを辿って お祓いを受けていると
神主さんが 参拝者の名前などを 読み上げるのだが
−−−田畑雅行 アーキ……て…り…くす−−−
そら 新米事務所名じゃ 読んだこともない
無事に 読み上げて もらえてよかった
芸事の神様
経営の神様
椿大神社は
建築の神様 みちびきの神様 みちひらきの神様 芸事の神様が 祀られるそうな
境内には Panasonic創設者 松下幸之助が祀られる社もあり
経営の神様の御利益があるそうな
茶室 鈴松庵
トコトコと境内を歩いていくと 松下幸之助が寄進した 茶室があり
ありがたく 鈴松庵で 一席 お茶をいただく
鈴鹿の 鈴
松下幸之助の 松
をとって 鈴松庵
(作庭は岩城亘太郎)
ピンとした 緊張感ある茶室というより
境内の杉大木林のように 懐 深めの茶室
茶室から望む 杉大木を背景にした 奥ゆかしさある室礼
床の間の掛け軸には
「道」
上付き 下空き
聞くところ 解釈は それぞれに委ねるとのこと
(大阪に答えがあるらしい)
—— 素養と感性が磨かれる 茶室
Reboot 完了
潤った 境内 参道を歩き
清めを終え
茶室を嗜み
よしっ 自分の感覚 Reboot完了
ご祈祷で 事務所名を書くのも 馴染む感じ
凛とした想い 良い ことはじめ
伊勢国一の宮 猿田彦大本宮 椿大神社
〒519-0315
三重県鈴鹿市山本町1871
WEB | https://tsubaki.or.jp/
「道」 松下幸之助 自分には 自分に 与えられた道がある 天与の 尊い道が ある どんな道かは知らないが ほかの人には 歩めない 自分だけしか 歩めない 二度と歩めぬ かけがいのない この道 広い時もある せまい時もある のぼりもあれば くだりもある 坦々とした時もあれば かきわけかきわけ汗する時もある この道が 果たして よいのか 悪いのか 思案にあまる時もあろう なぐさめを求めたくなる時もあろう しかし 所詮は この道しかない のではないか あきらめろと 言うのではない いま立っている この道 いま歩んでいる この道 ともかくも この道を 休まず 歩むことである 自分だけしか 歩めない 大事な道 ではないか 自分だけに 与えられている かけがいのない この道ではないか 他人の道に 心をうばわれ 思案にくれて立ち すくんでいても 道はすこしも ひらけない 道をひらくためには まず歩まねばならぬ 心を定め 懸命に歩まねばならぬ それがたとえ 遠い道のように思えても 休まず 歩む姿からは 必ず新たな 道がひらけてくる 深い喜びも 生まれてくる